私にとって一番大切な終活はお金のこと

私が終活を意識しだしたのは50歳になってからで、きっかけは学生時代の友人の死でした。
同じ年の身近な人の死はやはりショックで、何が起きても不思議ではない年齢を意識しました。
友人の場合は長く闘病した末のことであり、途中には何度か普通の生活に戻れたこともありましたが、誰もが同じ経過を辿るわけではありません。
ある日突然にその日を迎えることも想定した準備が必要なことを痛感しました。

終活というと片付け物をイメージする方が結構多いのですが、最悪ガラクタだらけで死んでしまったとしても処理するお金があれば業者に丸投げすることも可能です。
さらに処分にお金がかかるのは大きな家具や家電類でガラクタ類はさほどでもありません。
もちろん不要な物は終活とは関わり無く処分していますし、極力物を増やさない努力もしています。

私の終活のメインは私名義のお金の管理です。
夫は元気ですし多分私より長生きしそうなので「家」のお金は心配ありません。
万が一、夫婦で一度に死んでしまったとしてもメインバンクは通帳があり、証券会社からは定期的に書類が送られて来るので、子どもたちはお金の所在がわかります。

心配なのは秘密主義な私のへそくりです。
夫婦といえども先のことはわかりませんから、私は私で少しずつ貯めたお金が400万円ほどあります。
遺産というには小さな金額ですがうやむやになっては困ります。
ところがこの預金は秘密保持のために全てネット専業銀行に預金しているので通帳がありません。
PCには連絡のメールが来ますが、そのPCもパスワードをかけているので私しか開けません。
困った末にノートに全ての預金と預け先6行のパスワードやIDを記録しました。
ただそうなるとこのノートの所在を誰かに伝える必要がありますが、夫に言うのは嫌なのです。
結局、遠くに嫁いだ娘に伝えて鍵付きの引き出しにしまい、その鍵の置き場所をさらに伝えるという面倒臭い方法に落ち着きました。
我ながら金額の割には大袈裟だと思いますが仕方ありません。

困っているのは実家の80歳を過ぎた母も終活を始め、捨てるには惜しいと思う物を我が家に運んで来ることです。
終活は自分の家の中で完結すべきで、私も娘や息子にガラクタを押し付けないように注意しようと思っています。

母親が終活で遺言を残しています

私は、父親が他界しています。
その為、母親が一人暮らしをしています。
その母親は、自分の兄弟がなくなった時、その遺産の事でもめたことがとても嫌だったと話していました。
そのことは、私が小さい時から聞いていたことです。
そのため、よく覚えています。

そのことは、母親の兄弟の一人が亡くなった時、とても嫌な思いをしたということなんです。
その兄弟と言うのは、結婚をしておらず子どももいません。
その為、遺産についてはその兄弟が相続をすることになるのです。
兄弟と言うと、身近な人だけと思っていました。
ところがそうでもないのです。

自分が知らない人も、その相続権利があることを知ったのです。
相続のことについては、自分が当事者にならない限り、そんなに意識をすることが無いですね。
私の場合も、その話を聞いた時、自分としては関係ないと思っていました。
しかし、現実としてあった話だと思った時、やっぱり母親が感じているように、遺言を残すことはとても大切だと感じています。

兄弟がなくなった時、両親がなくなり、結婚も子供もいない場合、兄弟で相続をすることになりました。
その時、いろいろなことが明らかになったのです。
それは、兄弟がほかにもいたということです。

自分の母親が再婚であったことを知ったのです。
そしてその再婚を前に、子供がいたことを知り、愕然としたのです。
相続をするにあたり、司法書士にそのことを依頼した時、初めて知ったのでした。
その後は、司法書士に任せたのですが、相当もめたらしいです。

自分が知らないことも、相続をする時に、明らかになることがあります。
その時、うろたえるのです。
そんなことにならないように、きちんと遺言を残すことはとても大切であると思っています。

ほとんどの人は、遺言を残すことをしません。
それはなくなった後のことは、あまり考えていないからです。
しかし、終活としてそのことが一番大切であると感じます。
兄弟や家族がもめないように、そのように行った母親はすごいと感じています。

父親の死と超高齢の母の姿から考えた自分なりの終活

父が90歳で他界し、葬儀を営んで以来、いつかは自分にも訪れる死に関連して、いわゆる終活を考えるようになりました。まず父の葬儀の費用の管理をした事で、葬儀の費用がやはり高い事を再認識しました。父の葬儀は私達兄弟がまだ現役であった事もあり、会社関係の人など参列者が非常に多く、会館の葬儀場に入れぬほどでした。
私に万が一の事があった時には、そうした盛大な葬儀ではなくこじんまりとした葬儀で十分で、しかもその費用も子供達に負担を掛けたくないと感じました。誰しもが、終活として最初に考える事です。父の死と、こうした考え方から、近所に新たにできた全国展開している新興の葬儀社の積み立て会員に加入しました。これなら、葬儀の祭壇なども迷いなく、この積立金で賄えるセットになった祭壇や棺で営んでもらえば十分だとの意思表示もできると考えたのです。
葬儀の後は、埋葬する墓で多くの人が迷い、子供の負担を無くすべく、永代供養を生前に申し込み、費用も支払っておくと言った話を聞きます。しかし私の場合は、生前に父親が建立し、今は父が眠る墓がある為、そこに埋葬してもらえば子供の負担は年間の管理費等の1万数千円で、この程度なら息子は自分も入る墓だと思って維持してくれるでしょう。
息子には幸い2人の男児が生まれ、この孫達のいずれかはきっと墓を守ってくれると思っています。お墓参りには、時々孫を連れて行き、意識の底に刻み込んでくれればと思っています。墓の事を心配しなくても良いのは、終活を考える時には非常にありがたい事です。
父の死後、母は実家で一人暮らしを続けていましたが、90歳を前にして病気で入院した事が契機となり、歩行が難しくなり、特別養護老人ホームに入居しました。その前の数年間は自宅で暮らす母の生活介助も、女房に手伝ってもらい介護の事を色々と知る事ができました。
また母の年金収入と、施設の費用などの支出を女房と一緒に管理する事で、支出は女房も認識できたので、私が先立った後の遺族年金の概算を計算して女房に認識してもらいました。残された女房が一人で施設に入らねばならなくなった時、金銭的に子供の世話にならずにやって行ける事を認識する事で、女房も安心できたと思います。
施設に入所して、空き家となった実家の収納などをチェックすると、父が残した趣味品などもそのまま放置されていました。父が残した不用品を処分しながら、実家にある物の多さに改めて驚かされました。母が他界すれば、その多くの家財道具をすべて処分する必要があると考えると、ぞっとするほどです。翻って我が家を改めて見直すと、独立した息子や娘の置いて行ったものもあり、また私の実家の家財道具よりも遥かに多くの物がある事を再認識させられました。
実家の片付けを進めながら、それが終われば、我が家の不用品を整理し、シンプルな生活を心がけ、子供に大変な想いをさせないようにしようと考えています。父の死と残された超高齢の母の介護経験から、順次気になる事に事前対策を講じています。これが私の終活のスタートです。

祖母の終活

県外に一人暮らしをしている祖母がいます。現在85歳ですが、足腰も丈夫で二階建ての一軒家に一人で暮らし、食事も三食作り、庭には家庭菜園をして、洗濯や掃除もきっちりこなしています。ただ、洋服や帽子などを買うのが昔から好きだったため、二階の箪笥の中には沢山の衣類が収納されています。昔は多くの孫たちが泊まりに来ていたので、布団も10組くらい押入れの中に詰まっています。調理器具や食器を買い集めるのも好きなので、キッチンの収納棚や食器棚にはぎゅうぎゅうにフライパンや鍋、和食器や洋食器が入れられています。冷蔵庫の中もスーパーが遠いため、食材を買いだめし、色々なものが詰めこめられています。
最近、祖母は「もうじき、おじいさんのお迎えが来る頃だから」と、洋服や食器などを人にあげたり、捨てたりするようになってきたそうです。母親が三連休などを利用し、祖母の家に帰省していますが、行くたびにものが少なくなっていくとのこと。
孫の写真を現像して持って行っても、嬉しそうに写真を見ますが、その後は置いておいても自分が死んだ時に処分に困るので、いらないと言うそうです。写真はやめて、携帯でムービーを撮って見せることにしたそうです。
それでも3LDKの一軒家なので、まだまだ物が多いそうで、母が帰省した際に祖母と一緒に掃除をした箪笥の奥から母の学生時代の制服が出てきたり、独身時代のミニスカートのスーツが出てきたり、びっくりするくらい物持ちが良いようです。それらも、もう着る機会なんて全くないので、ゴミとして捨てているそうです。
祖母は、自分にもしものことがあった時に、残された子どもや親戚たちに迷惑を掛けてしまうこととも忍びないのですが、それよりも自分の物を勝手に捨てられるのが嫌だそうです。祖母の意識があるうちに、いらない物はゴミとして捨てて、リサイクルできるものはリサイクルし、貰ってくれる人がいるのなら、手渡しであげたいらしいです。
終活にも色々ありますが、私の祖母の終活は、祖母と一緒に生活を営んでいった物たちの処遇をきっちり決めていくことのようです。

自分らしいお墓選び

久しぶりに実家に帰ると、母が墓石のパンフレットを広げていました。どうしたの、縁起でもない、といった言葉がとっさに口から飛び出しました。七十を過ぎたとはいえ、母は未だ足腰も達者で、週末には好きな山登りを楽しむほどの元気者です。冗談かと思いましたが、母は案外真剣で、墓を買うにも土地を探すのが大変らしい、と答えてため息をつきました。
なんでも、ご近所の方が亡くなって、残されたお身内の方が、お墓探しに奔走されているとのことでした。亡くなられた方はやはり、お元気で評判のご老人で、倒れられたのは本当に急なことだったそうです。ご家族の方のご苦労を見ていると、母は急に焦りを感じたと言いました。墓石のパンフレットは、その方から一部分けてもらってきたとのことです。
私は、母にそんなことを考えてほしくはありませんでした。まだ死なれては困ります。不自然にとられないよう、話題を変えてパンフレットを片付けようとしましたが、母は見るのをやめようとはしませんでした。
仕方がないのでしばらく話を合わせていたのですが、意外と、母は墓石選びを楽しく感じているようでした。
みてみて、と母が言います。今はこんなのがあるんだねえ、と指さすページを見てみると、本当に、驚くほどに多様なタイプの墓石が並んでいました。本を開いた形の墓石、音符の形をした墓石、故人の趣味を表すようなものがたくさんあります。その中で母は、これがいいと、宮殿を模したらしい墓石、ベルサイユ風のお墓を示して嬉しそうに笑いました。
その笑顔を見て、縁起でもないと言ってしまったことを反省しました。母は母なりに、最期まで自分らしくいられる場所を探したかったのだと思ったからです。
以後母はときどき、終活という言葉を口にするようになりました。終活だと言っては部屋を片付け、保険の契約書を探し、最近はお友達と墓所を見に行ってきたそうです。とても楽しそうです。
終活とは、生きている今をすがすがしいものにする活動だと、最近は思うようになりました。後の憂いがないように、今をきれいにしておくことのように、母を見ていると感じられるからです。

昨年亡くなった父親の死について思うこと

昨年実家で生活していた父親が前日まで元気でしたが当日外出先で倒れてから1日で死んでしまいました。あまりに突然のことで遺言書などなく途方にくれましたが、父親の部屋の遺品でもかたづけようと久しぶりに訪れましたが綺麗に片づけられていたので驚きました。
母親が整理整頓したわけではなく、亡くなる前から少しずつかたずけていたので終活らしきことをしていたみたいです。机の引き出しを開けておどろいたのは、年代ごとに手帳がきちんとそろえられていて、最新の手帳を見ると住所録のところに友達や親せきの名前がきちんと書いてあったので葬式の日取りを連絡するときに随分助かりました。本棚も月刊誌が月ごとに並べられていて中古本屋に引き取りやすくなっていました。
一番驚いたのは金庫をあけたときにワープロで印刷された用紙があり、毎年書き変えていたらしく束になっていました。中身は父親の所有する財産目録で複数の銀行口座と残高、郵便貯金、株の一覧表など事細かに記載されていたので一目でわかり、あとで名義変更するときに戸惑わなくてすみました。
実家の土地は借地で生前大家さんから買い取るために工面していたのはしっていましたが、一部を私の名義にしておいてくれたのも、相続のときに困らないようにするためのようでした。
晩年は70歳まで勤めた会社を辞めて悠々自適にくらしていたので、表面上は家族のためになにもしていないようなふるまいでしたが、ひそかに終活をしていたことは間違いないです。
遺影となる写真は普通は若い頃の方が元気で生前を想い出すときによいのかとおもっていましたが、机の中にアルバムのようなものがあり、会社の同僚や大学時代の仲間の写真がありました。その中でなぜか数枚一人でポーズを取っている晩年の写真があり笑顔が良いものがありました。おそらくこれを遺影にしてほしかったのではと推測し、使うことにしました。
昔の人で頑固なところがありましたが、人知れず死の準備をしていたことは素直に素晴らしく、同時に自分も見習おうと思うようになりました。