父の終活を手本に生きていきます

昨年父が亡くなりました。

もう80歳を超えてから4年が経っていました。
母亡きあと、22年間を単身生活者として過ごし、自分の事は自分で何でもできる人になっていました。

父が亡くなってから出てきた遺書は15年前の日付が記されていて、其処には見事なまでに簡潔に、感情は一切挟まず、ごく事務的な事柄が記されていました。
相続弁護士のHPにも、就活には遺書を書くのがよいと記載されています。

遺された私たち姉妹が、何も困らないほど、銀行関係や役所での年金、保険の手続きに至るまで、全て分かるように明記されていたのです。

また、日頃は私に、自分の死後はどうしてほしいかという事も伝えていました。

葬儀は不要である。
お寺は母の眠る同じ所に決めた、など、遺された者が故人の思いを探りながら行動しなくて良いように、明確な意思表示をしてくれていました。

あらかじめ遺品整理にかかる金額も自分で調べ、住居は売れば良いとも言っていました。

父が急逝したにもかかわらず、その後処理や事務手続きを滞りなく進められたのも、日頃の父との意思疎通と遺書によるものだと思いました。

亡くなる一月ほど前、父は具合の悪い脚を引きずるような思いで銀行に向かっています。

それまで預けていた投資信託の解約手続きと同時に、新しく国債を購入していました。
さらに、定期預金の通帳の隅には、金額欄の横に孫たちの名前が走り書きされていて、それぞれにお金が分配されるようにも指示されていました。

高齢になって、友人知人は少なく、娘家族や近所の方としか交流の機会も無かったのですが、その都度丁寧に挨拶して、自分がいつ居なくなっても、良い事だけを思い出してもらえるような振る舞いをしていました。

最後に父はご先祖様のお参りにお寺に行きたいと言い、亡くなる3日前に私が運転する車に乗って、お盆の万灯供養会に出かけました。

自分の身辺を全て片付けた上でのお盆参りです。

ご先祖様に何を伝えたかったのかは解りませんが、お参りした数日後に急に亡くなるなんて、出来すぎた幕引きだと思いました。

1日1日を正しく生きて、他人に迷惑をかけず、常に感謝の気持ちを持って生きていた父の立派な最期を見届けました。

特別な終活を心がけた人ではありません。
普通の事を、普通にしていただけです。
家族ときちんと会話をし、自分の思いを正確に伝える事が出来れば、遺された者にとって、故人の後始末など何も煩わしいことではありません。

終活としてまず葬儀と埋葬と家の中に溢れる不用品の処分を考えました

最近、終活が話題としてよく取り上げられます。これは少子化の中で高齢者が自分の死後の事を心配し、子供が居ても子供達の負担を最小限にしたいと言う気持ちから色々と生前に考え、準備を進めようと言う想いを持つ人が増えたからでしょう。
死後に残された遺族の事を考えると、まずは葬儀や埋葬と言った事をどうするかと言う事が気になります。父の葬儀の費用が高額であった事から、私は60代半ばですが、自分名義である葬儀会館の積み立て会員となり、万が一の場合にも葬儀をどこで行うべきか、費用はどれほど掛かるのだろうかと子供に心配をかけない様に準備を始めました。また葬儀費用などが不足しないように、少しですが死亡保険にも新たに加入しました。
埋葬に関しては、父が建立したお墓があり、幸い新たに墓地の確保などを考える必要もなく、男児の孫も2人居るため、この墓を維持して行ってくれる事を願うばかりです。管理費等は年間1万円程度で、この程度なら子や孫の経済的負担のそれほど大きくなく、孫達も機会があるごとに墓参りに連れて行き、先祖を敬う心根を育てると共に、墓に慣れ親しんでもらう様にしています。
残せる財産などそれほど多くはなく、わずかな預貯金と住んでいる持ち家のみです。父が亡くなり、母が特別養護老人ホームに入居したタイミングで、実家の整理を少し行いましたが、その時に家財道具の多さに驚かされました。
我が家は子供が独立して以降も、整理はほとんどしておらず、ものの多さは実家の比ではありません。私や女房が他界して我が家を処分する時、子供はその家財道具や多くのものの処分に困り果てるに違いありません。
実家の整理と共に、我が家も不用品を思い切って処分し、簡素な生活に心がけて行きたいと思っています。まだ、そんな事を考えるには早いと思われるか知れませんが、室内を整理し不用品を処分するには体力のある間しかできません。思いきった断捨離を進め、万が一の時に家の整理が可能な限り容易にしておき、子供達が家を処分する時に負担が掛からないように準備して置く事が当座の残された私の終活だと思っています。子供達に最後の言葉を残す準備は、それこそ少し早いと考えています。

家族の終活はまず疑いを晴らすことから始まる。

父親に終活を始めてもらいたいと思ったときに大変だったのは、終活を促す私たちの子どものことを父が疑いはじめたということでした。終活のステップを無視して、最初から遺言書を書いて欲しいと言ってしまったのもいけないのですが、財産目当てのために遺言書を書けと言っているのだと疑われてしまいました。それからは、週刊誌の終活特集のページをテーブルの上に置いておいたり、知人が取り組んでいる終活の話しをしたりして、財産目当てで言ったのではなく、大切だからアドバイスしたのだと理解してもらうように務めました。二ヶ月程度その作業にかかりまして、ようやく父の気持ちも打ち解けてきたところで、まずはエンディングノートから作ってもらうように仕向けました。最初から遺言書というのはやはりハードルが高かったかなと反省しています。エンディングノートのときはそれまで打って変わって積極的になり、地域の自治体が開催するエンディングノート講座に通ったりもしていた程です。エンディングノートをキッカケにして遺言書を作る方も多いらしく、また財産管理という面でもエンディングノートは良い効果があるらしいです。実は父の勧めもあって、私たち子ども全員がエンディングノートを作るはめになってしまいました。父にとってはこれが終活への弾みになったようです。終活というと高齢者が一人で仕方なく作り上げるイメージがありますが、そうではなくエンディングノートを繋がりとして家族全員で終活をお手伝いするという行動が父にとってはとても心強いものとなったようです。本当であれば遺言書を作ってもらって終活は終わりにする予定だったのですが、エンディングノート作りをキッカケに家族の絆も深まり、あわてて遺言書を作ってもらわなくても良くなりました。というのも、遺言書としてまとめる内容も家族全員で話し合っていますので、遺言書がないまま亡くなったとしても遺産分けの話し合いで揉めることはないと思われるからです。我が家の終活はエンディングノートをキッカケに予想外の展開になりましたが、このような終活もあってもいいと思っています。

私にとって一番大切な終活はお金のこと

私が終活を意識しだしたのは50歳になってからで、きっかけは学生時代の友人の死でした。
同じ年の身近な人の死はやはりショックで、何が起きても不思議ではない年齢を意識しました。
友人の場合は長く闘病した末のことであり、途中には何度か普通の生活に戻れたこともありましたが、誰もが同じ経過を辿るわけではありません。
ある日突然にその日を迎えることも想定した準備が必要なことを痛感しました。

終活というと片付け物をイメージする方が結構多いのですが、最悪ガラクタだらけで死んでしまったとしても処理するお金があれば業者に丸投げすることも可能です。
さらに処分にお金がかかるのは大きな家具や家電類でガラクタ類はさほどでもありません。
もちろん不要な物は終活とは関わり無く処分していますし、極力物を増やさない努力もしています。

私の終活のメインは私名義のお金の管理です。
夫は元気ですし多分私より長生きしそうなので「家」のお金は心配ありません。
万が一、夫婦で一度に死んでしまったとしてもメインバンクは通帳があり、証券会社からは定期的に書類が送られて来るので、子どもたちはお金の所在がわかります。

心配なのは秘密主義な私のへそくりです。
夫婦といえども先のことはわかりませんから、私は私で少しずつ貯めたお金が400万円ほどあります。
遺産というには小さな金額ですがうやむやになっては困ります。
ところがこの預金は秘密保持のために全てネット専業銀行に預金しているので通帳がありません。
PCには連絡のメールが来ますが、そのPCもパスワードをかけているので私しか開けません。
困った末にノートに全ての預金と預け先6行のパスワードやIDを記録しました。
ただそうなるとこのノートの所在を誰かに伝える必要がありますが、夫に言うのは嫌なのです。
結局、遠くに嫁いだ娘に伝えて鍵付きの引き出しにしまい、その鍵の置き場所をさらに伝えるという面倒臭い方法に落ち着きました。
我ながら金額の割には大袈裟だと思いますが仕方ありません。

困っているのは実家の80歳を過ぎた母も終活を始め、捨てるには惜しいと思う物を我が家に運んで来ることです。
終活は自分の家の中で完結すべきで、私も娘や息子にガラクタを押し付けないように注意しようと思っています。

昨年亡くなった父親の死について思うこと

昨年実家で生活していた父親が前日まで元気でしたが当日外出先で倒れてから1日で死んでしまいました。あまりに突然のことで遺言書などなく途方にくれましたが、父親の部屋の遺品でもかたづけようと久しぶりに訪れましたが綺麗に片づけられていたので驚きました。
母親が整理整頓したわけではなく、亡くなる前から少しずつかたずけていたので終活らしきことをしていたみたいです。机の引き出しを開けておどろいたのは、年代ごとに手帳がきちんとそろえられていて、最新の手帳を見ると住所録のところに友達や親せきの名前がきちんと書いてあったので葬式の日取りを連絡するときに随分助かりました。本棚も月刊誌が月ごとに並べられていて中古本屋に引き取りやすくなっていました。
一番驚いたのは金庫をあけたときにワープロで印刷された用紙があり、毎年書き変えていたらしく束になっていました。中身は父親の所有する財産目録で複数の銀行口座と残高、郵便貯金、株の一覧表など事細かに記載されていたので一目でわかり、あとで名義変更するときに戸惑わなくてすみました。
実家の土地は借地で生前大家さんから買い取るために工面していたのはしっていましたが、一部を私の名義にしておいてくれたのも、相続のときに困らないようにするためのようでした。
晩年は70歳まで勤めた会社を辞めて悠々自適にくらしていたので、表面上は家族のためになにもしていないようなふるまいでしたが、ひそかに終活をしていたことは間違いないです。
遺影となる写真は普通は若い頃の方が元気で生前を想い出すときによいのかとおもっていましたが、机の中にアルバムのようなものがあり、会社の同僚や大学時代の仲間の写真がありました。その中でなぜか数枚一人でポーズを取っている晩年の写真があり笑顔が良いものがありました。おそらくこれを遺影にしてほしかったのではと推測し、使うことにしました。
昔の人で頑固なところがありましたが、人知れず死の準備をしていたことは素直に素晴らしく、同時に自分も見習おうと思うようになりました。