40歳を過ぎて身の回りの整理をしようとした私と何もしていない70代の両親

ここ近年、断捨離ブームですが私も身の回りの整理をしたいと思い、去年思い切って使っていない物や洋服や小物などかなり整理しました。
私は40代の前半で終活を意識をし始めたのは、私は独身で子供もいません。この先も結婚することはないでしょう。

それに、この先治る事がない病気を複数持っているため、今後私になにかあった時に私の持ち物が整理をされていないと、高齢の両親が
困ってしまうと思ったのと、もし、両親が私の持ち物の整理ができなくても、親戚などのいとこ達に迷惑が掛かってしまうと思うと40代でも必要な事だと思いました。

終活を意識し始めてからは、買い物などもかなり慎重になりました。今まで若い時のように流行を追い過ぎてだんだん着なくなった洋服がクローゼットに
たくさん残っていて、箪笥の肥やしのようになってしまっていたり、絶対に今後見ないと思われる思い出の品などがあると、整理がまったく出来ないし、
残された家族も大変だと思うので、それから、物を購入する時は自分が本当に気に入った物である事と無駄に物を増やさないようにする事を今まで以上に思うようになりました。

生活をするのに人はどれくらい物が必要なのかなと考えた事があります。
断捨離をしてみて、部屋がスッキリしたら身の回りの物はとても気に入った物しか要らないと分かり自分に必要な物の量を
減らす事で物が少なくでも心は豊かに暮らせると知りました。

終活には、まさにそういった考えが必要な気がします。でも全く何も無いのも寂しいので好きなものだけは厳選して暮らしていきたいです。

でも、私の両親は70代に最近入りましたが、終活をしている気配は全くしないので、娘の私は何だかハラハラしています。
あまり片付けが得意ではない両親なので、クローゼットの中は昔の着なくなった洋服が溢れているし、ガラクタのような雑貨がアチコチ置いてあったりしています。物の数はかなり多いため、もし近い将来両親に何かあった時はどうなるのか今からあまり考えたくない現状です。

家内の祖母の終活について

家内の祖母は90歳で亡くなりました。最後までマンションで1人居住まいを続け元で亡くなったのですが家族に看取られて入院する期間も約3ヶ月と本当に誰にも迷惑をかけず幸せに旅立っていきました。しかし本人はこの死期を知ってか知らずか、しっかりとした終活を行っていました。
まずは家内の母親を始めとした3人の娘に対して、自分が持っている資産であるマンションと株式、洋服や骨董品などどのように分けるのかをしっかりメモで残していました。もちろん、遺言上にして残すべきものは書面で弁護士を通して記載してあったと言うことです。
また、もともと几帳面な女性でしたが、友人や親戚に対して一人ひとりにきちんとした書面でお別れの手紙を書いていました。聞くところではすでに3年前から少しずつこうした手紙を書き溜めていたようです。
私のように孫の旦那と言うほどの離れた関係でもきちんとお手紙を残してくれました。原稿用紙1枚程度ですが20年近い付き合いであった家内の祖母からの手紙は心が温まり、涙が出るほどのありがたい内容になっていました。
そして私の子供であるひ孫に対しても手紙をきちんと残してくれていたのは本当に感謝しています。
さらに、葬儀の手配についても事前に自分自身で決めていました。家族、親戚みんなが集まって自分自身を送り出してほしいと言う思いを持っていましたので、宿泊できる会館を自分で指定し、事前にお金も準備した上で実際になくなった夜は仮装する前の前日は家族や親族みんなで祖母を送り出す宴会を行いました。なかなか普段会えない仲間たちがここに集まることで祖母も非常に喜んでいたのではないかと思います。
冒頭でも紹介した通り、家内の祖母は本当に几帳面な女性で自分の子様まできちんと予定されていたかのように実現させてしまいました。人間たるもの、ここまでうまく死に様を決めることができないかもしれませんが、自分自身も見習っていきたいなと感じた次第です。

生き抜いてくれました

2年前、すい臓がんで兄を亡くしました。私たちは兄、弟、私の3人兄弟です。田舎のことゆえ長男が跡をとるのが当たり前という感覚で育ちましが、兄にはそういう気持ちは皆無で、転勤のある仕事に就いていたこともあり、20代で家を出たあとは、県外で家庭を築きました。長男だからどうこうというのは時代が違うことは、地元に残された私たちも百も承知でしたが、話し合いの段階も踏まず一方的な兄夫婦のことは、快く思っていませんでした。兄以上に勝手ばかりを通す兄嫁と、それに対して何も言えない私たち自身にも腹立っていたのだと思います。そんな兄から突然「癌で余命宣告を受けた。話があるから集まるように」と連絡があった時には本当に驚きました。多少の不摂生は有るものの、59歳になるまで兄には大病の経験は有りません。それに近親者に癌患者がいないこともあり、何かの間違いか?という思いの方が強かったのです。しかし、それは紛れもない事実でした。帰省した兄の口から語られたのは、すい臓がんで余命宣告をうけていること、地元との付き合いは一切できないので、親戚にも伝えるのは厳禁であることでした。父は他界していましたが、母は健在です。地元に戻らないのを薄々覚悟していたとはいえ、長男である兄を頼りに思ってきたことは誰の目にも明らかです。その兄の余命が短いことを告げられ、また更にはお墓の手配も既に済んでいることを聞かされた母の憔悴は計り知れないものでした。一方的に自分たちの事情を告げて帰った兄夫婦にやるせない思いで一杯になりました。病気のことで一杯なのは当然でしょうが、それを機会に一気に自分たちの都合を全て押し通すやり方には、やはり納得ができませんでした。ただ、離れてはいるものの20年以上も家族として暮らした歴史は消しようのないものです。以降、私と兄とのメールのやり取りという形で、今までになかった交流が生まれたのです。それは兄が亡くなる直前、一年半もの間続きました。時にはけんか腰のこともありましたが、その中で兄は色んなことを語ってくれました。まだ成人前の次男のこと、仕事のこと、そして長年続けてきた競技ダンスの事。告知をされてから、目標をたてた一つずつをクリアして私に見せてくれました。60歳の誕生日を迎え、次男の二十歳の誕生日を祝い、そして最後まで情熱を傾けたダンスの競技会は、私も見に行くことが出来ました。ラテンダンスの衣装から見える胸元がビックリする程痩せていたのには涙が出たし、正直、病気の体で激しいダンスは止めてほしかった。でもそこにはやせ細ってはいても、躍動する兄の姿がありました。自分の愛した競技ダンスに打ち込むことが兄の終活だったのだと思います。兄とは必ずしも相容れない部分もあったけれど、最期まで生き抜くことを教えて貰ったと思っています。

父の終活を手本に生きていきます

昨年父が亡くなりました。

もう80歳を超えてから4年が経っていました。
母亡きあと、22年間を単身生活者として過ごし、自分の事は自分で何でもできる人になっていました。

父が亡くなってから出てきた遺書は15年前の日付が記されていて、其処には見事なまでに簡潔に、感情は一切挟まず、ごく事務的な事柄が記されていました。
相続弁護士のHPにも、就活には遺書を書くのがよいと記載されています。

遺された私たち姉妹が、何も困らないほど、銀行関係や役所での年金、保険の手続きに至るまで、全て分かるように明記されていたのです。

また、日頃は私に、自分の死後はどうしてほしいかという事も伝えていました。

葬儀は不要である。
お寺は母の眠る同じ所に決めた、など、遺された者が故人の思いを探りながら行動しなくて良いように、明確な意思表示をしてくれていました。

あらかじめ遺品整理にかかる金額も自分で調べ、住居は売れば良いとも言っていました。

父が急逝したにもかかわらず、その後処理や事務手続きを滞りなく進められたのも、日頃の父との意思疎通と遺書によるものだと思いました。

亡くなる一月ほど前、父は具合の悪い脚を引きずるような思いで銀行に向かっています。

それまで預けていた投資信託の解約手続きと同時に、新しく国債を購入していました。
さらに、定期預金の通帳の隅には、金額欄の横に孫たちの名前が走り書きされていて、それぞれにお金が分配されるようにも指示されていました。

高齢になって、友人知人は少なく、娘家族や近所の方としか交流の機会も無かったのですが、その都度丁寧に挨拶して、自分がいつ居なくなっても、良い事だけを思い出してもらえるような振る舞いをしていました。

最後に父はご先祖様のお参りにお寺に行きたいと言い、亡くなる3日前に私が運転する車に乗って、お盆の万灯供養会に出かけました。

自分の身辺を全て片付けた上でのお盆参りです。

ご先祖様に何を伝えたかったのかは解りませんが、お参りした数日後に急に亡くなるなんて、出来すぎた幕引きだと思いました。

1日1日を正しく生きて、他人に迷惑をかけず、常に感謝の気持ちを持って生きていた父の立派な最期を見届けました。

特別な終活を心がけた人ではありません。
普通の事を、普通にしていただけです。
家族ときちんと会話をし、自分の思いを正確に伝える事が出来れば、遺された者にとって、故人の後始末など何も煩わしいことではありません。

終活としてまず葬儀と埋葬と家の中に溢れる不用品の処分を考えました

最近、終活が話題としてよく取り上げられます。これは少子化の中で高齢者が自分の死後の事を心配し、子供が居ても子供達の負担を最小限にしたいと言う気持ちから色々と生前に考え、準備を進めようと言う想いを持つ人が増えたからでしょう。
死後に残された遺族の事を考えると、まずは葬儀や埋葬と言った事をどうするかと言う事が気になります。父の葬儀の費用が高額であった事から、私は60代半ばですが、自分名義である葬儀会館の積み立て会員となり、万が一の場合にも葬儀をどこで行うべきか、費用はどれほど掛かるのだろうかと子供に心配をかけない様に準備を始めました。また葬儀費用などが不足しないように、少しですが死亡保険にも新たに加入しました。
埋葬に関しては、父が建立したお墓があり、幸い新たに墓地の確保などを考える必要もなく、男児の孫も2人居るため、この墓を維持して行ってくれる事を願うばかりです。管理費等は年間1万円程度で、この程度なら子や孫の経済的負担のそれほど大きくなく、孫達も機会があるごとに墓参りに連れて行き、先祖を敬う心根を育てると共に、墓に慣れ親しんでもらう様にしています。
残せる財産などそれほど多くはなく、わずかな預貯金と住んでいる持ち家のみです。父が亡くなり、母が特別養護老人ホームに入居したタイミングで、実家の整理を少し行いましたが、その時に家財道具の多さに驚かされました。
我が家は子供が独立して以降も、整理はほとんどしておらず、ものの多さは実家の比ではありません。私や女房が他界して我が家を処分する時、子供はその家財道具や多くのものの処分に困り果てるに違いありません。
実家の整理と共に、我が家も不用品を思い切って処分し、簡素な生活に心がけて行きたいと思っています。まだ、そんな事を考えるには早いと思われるか知れませんが、室内を整理し不用品を処分するには体力のある間しかできません。思いきった断捨離を進め、万が一の時に家の整理が可能な限り容易にしておき、子供達が家を処分する時に負担が掛からないように準備して置く事が当座の残された私の終活だと思っています。子供達に最後の言葉を残す準備は、それこそ少し早いと考えています。

家族の終活はまず疑いを晴らすことから始まる。

父親に終活を始めてもらいたいと思ったときに大変だったのは、終活を促す私たちの子どものことを父が疑いはじめたということでした。終活のステップを無視して、最初から遺言書を書いて欲しいと言ってしまったのもいけないのですが、財産目当てのために遺言書を書けと言っているのだと疑われてしまいました。それからは、週刊誌の終活特集のページをテーブルの上に置いておいたり、知人が取り組んでいる終活の話しをしたりして、財産目当てで言ったのではなく、大切だからアドバイスしたのだと理解してもらうように務めました。二ヶ月程度その作業にかかりまして、ようやく父の気持ちも打ち解けてきたところで、まずはエンディングノートから作ってもらうように仕向けました。最初から遺言書というのはやはりハードルが高かったかなと反省しています。エンディングノートのときはそれまで打って変わって積極的になり、地域の自治体が開催するエンディングノート講座に通ったりもしていた程です。エンディングノートをキッカケにして遺言書を作る方も多いらしく、また財産管理という面でもエンディングノートは良い効果があるらしいです。実は父の勧めもあって、私たち子ども全員がエンディングノートを作るはめになってしまいました。父にとってはこれが終活への弾みになったようです。終活というと高齢者が一人で仕方なく作り上げるイメージがありますが、そうではなくエンディングノートを繋がりとして家族全員で終活をお手伝いするという行動が父にとってはとても心強いものとなったようです。本当であれば遺言書を作ってもらって終活は終わりにする予定だったのですが、エンディングノート作りをキッカケに家族の絆も深まり、あわてて遺言書を作ってもらわなくても良くなりました。というのも、遺言書としてまとめる内容も家族全員で話し合っていますので、遺言書がないまま亡くなったとしても遺産分けの話し合いで揉めることはないと思われるからです。我が家の終活はエンディングノートをキッカケに予想外の展開になりましたが、このような終活もあってもいいと思っています。

私にとって一番大切な終活はお金のこと

私が終活を意識しだしたのは50歳になってからで、きっかけは学生時代の友人の死でした。
同じ年の身近な人の死はやはりショックで、何が起きても不思議ではない年齢を意識しました。
友人の場合は長く闘病した末のことであり、途中には何度か普通の生活に戻れたこともありましたが、誰もが同じ経過を辿るわけではありません。
ある日突然にその日を迎えることも想定した準備が必要なことを痛感しました。

終活というと片付け物をイメージする方が結構多いのですが、最悪ガラクタだらけで死んでしまったとしても処理するお金があれば業者に丸投げすることも可能です。
さらに処分にお金がかかるのは大きな家具や家電類でガラクタ類はさほどでもありません。
もちろん不要な物は終活とは関わり無く処分していますし、極力物を増やさない努力もしています。

私の終活のメインは私名義のお金の管理です。
夫は元気ですし多分私より長生きしそうなので「家」のお金は心配ありません。
万が一、夫婦で一度に死んでしまったとしてもメインバンクは通帳があり、証券会社からは定期的に書類が送られて来るので、子どもたちはお金の所在がわかります。

心配なのは秘密主義な私のへそくりです。
夫婦といえども先のことはわかりませんから、私は私で少しずつ貯めたお金が400万円ほどあります。
遺産というには小さな金額ですがうやむやになっては困ります。
ところがこの預金は秘密保持のために全てネット専業銀行に預金しているので通帳がありません。
PCには連絡のメールが来ますが、そのPCもパスワードをかけているので私しか開けません。
困った末にノートに全ての預金と預け先6行のパスワードやIDを記録しました。
ただそうなるとこのノートの所在を誰かに伝える必要がありますが、夫に言うのは嫌なのです。
結局、遠くに嫁いだ娘に伝えて鍵付きの引き出しにしまい、その鍵の置き場所をさらに伝えるという面倒臭い方法に落ち着きました。
我ながら金額の割には大袈裟だと思いますが仕方ありません。

困っているのは実家の80歳を過ぎた母も終活を始め、捨てるには惜しいと思う物を我が家に運んで来ることです。
終活は自分の家の中で完結すべきで、私も娘や息子にガラクタを押し付けないように注意しようと思っています。

昨年亡くなった父親の死について思うこと

昨年実家で生活していた父親が前日まで元気でしたが当日外出先で倒れてから1日で死んでしまいました。あまりに突然のことで遺言書などなく途方にくれましたが、父親の部屋の遺品でもかたづけようと久しぶりに訪れましたが綺麗に片づけられていたので驚きました。
母親が整理整頓したわけではなく、亡くなる前から少しずつかたずけていたので終活らしきことをしていたみたいです。机の引き出しを開けておどろいたのは、年代ごとに手帳がきちんとそろえられていて、最新の手帳を見ると住所録のところに友達や親せきの名前がきちんと書いてあったので葬式の日取りを連絡するときに随分助かりました。本棚も月刊誌が月ごとに並べられていて中古本屋に引き取りやすくなっていました。
一番驚いたのは金庫をあけたときにワープロで印刷された用紙があり、毎年書き変えていたらしく束になっていました。中身は父親の所有する財産目録で複数の銀行口座と残高、郵便貯金、株の一覧表など事細かに記載されていたので一目でわかり、あとで名義変更するときに戸惑わなくてすみました。
実家の土地は借地で生前大家さんから買い取るために工面していたのはしっていましたが、一部を私の名義にしておいてくれたのも、相続のときに困らないようにするためのようでした。
晩年は70歳まで勤めた会社を辞めて悠々自適にくらしていたので、表面上は家族のためになにもしていないようなふるまいでしたが、ひそかに終活をしていたことは間違いないです。
遺影となる写真は普通は若い頃の方が元気で生前を想い出すときによいのかとおもっていましたが、机の中にアルバムのようなものがあり、会社の同僚や大学時代の仲間の写真がありました。その中でなぜか数枚一人でポーズを取っている晩年の写真があり笑顔が良いものがありました。おそらくこれを遺影にしてほしかったのではと推測し、使うことにしました。
昔の人で頑固なところがありましたが、人知れず死の準備をしていたことは素直に素晴らしく、同時に自分も見習おうと思うようになりました。